昔の漫画と今の漫画

 どうも、こんばんは。滝川です。

 間を置いた更新ばかりで申し訳ありません。
 当分、こんな調子です。ごめんなさい……。

 気を取り直して、たまには漫画の話を。
 浦沢直樹先生の「プルートゥ」の最終巻を読みました。

 手塚治虫先生の「アトム・地上最大のロボット」のリメイクでありながら
 よりリアルな未来描写と、奥深い心理描写が加えられたこの作品。

 作品の内容について解説するのはあまりにも恐れ多いので、
 それとは別に、私なりに思った事を少々述べさせていただきます。

 昨今の漫画業界について、よく耳にする感想の一つに、
「昔の漫画の方が面白かった。今の漫画はいまいち」
 というものがあります。
 よくある懐古趣味、と言ってしまえばそれまでですが、
 私には、現代の読者と昔の読者の間には、
 とても大きな隔たり、変化があるように思えるのです。

 早い話、昔の読者より現代の読者の方が、
 ずっと厳しくてレベルが高いのです。

 現代の読者と昔の読者の違いとして、顕著な例は、
 登場人物の「服装」に関する指摘です。
「あの作者はセンスが悪い」
「ファッション雑誌から丸写しみたいな服を着せている」
 こんなハイレベルな指摘をする読者は、昔はいませんでした。

 周知の通り、手塚先生の「アトム」の外見的特徴といえば、
 あのどこから見ても二本角の髪型と、黒いパンツだけの半裸姿です。
 昔はこれでよかったのです。いかにも漫画らしい姿で。
 そして現代、浦沢先生がリメイクした「プルートゥのアトム」は、
 二本角も黒いパンツもやめて、普通の服を着た可愛い少年になりました。

 昔の読者は、黒いパンツ一丁で空を飛びまわる半裸の少年に対しても、
 さほど大きな違和感を持たなかったのです。
 しかし現代の読者は、「ヒロインの服装がキモオタの妄想みたい」などと
 作者の心をえぐるような、過酷なツッコミを平気でしてくるのです……。


 昔の読者と現代の読者、どちらが偉いというような話でありません。
 ただ、時代が変わり、読者の目も変化して鋭くなった、それだけの事です。
 戦国時代、鉄砲の出現で武将達が戦術の変化を強いられたように
 今の時代の作家達も、厳しくなった読者の視線に耐えられるよう
 作品の細かな点にも気を配っていく必要があるのです。


 ……と、偉そうな理屈を並べたところで。
 それじゃそのご立派な理屈を元に面白い原稿を書きなさいよ、と
 自分自身を叱咤して今回の更新を終えます。

 それでは、失礼します。
 今後ともよろしくお願いします。

自由アメリカ放送

 テレビを調整しようとしても無駄だ。
 これは《自由アメリカ放送》だ。
 追跡もできないし、止める事も不可能な、
 この街で唯一の自由な声だ……


 ……と、一部の人には懐かしい
「ダーク・エンジェル」からの引用で始める今回の記事は
 近頃の表現規制問題についてです。

 いわゆる「エロゲー」「陵辱ゲー」といわれている、
 成人向けのセクシャルな娯楽作品を規制しようという運動が、
 すでに自主規制という形で踏み出しています。

 なにぶん、話題の方向が下の方なので、
 非難する人はずいぶん声高なのに
 擁護する人は小声になりがちなこの問題。

 しかし、今回の規制騒動はあまりにも馬鹿げています。
 吹けば飛ぶような雑魚ではありますが、
 仮にも表現の分野に関わる一員として、私はみなさんに請願したいのです。
 誤った告発によって、私達は極めて愚劣な決定を受け入れつつあります。

 例えばの話として。
「ショーウィンドウに飾られたトランペットを、一人の少年が眺めています。
 少年はそのトランペットが欲しいのですが、お金が全然足りません」
 という状況があったとして。

 少年が「普通の人」なら、トランペットを諦めます。
 あるいは、少年が誰よりも音楽への情熱に燃える「未来の天才」なら、
 他の様々な欲望を我慢して貯金し、数ヵ月後になんとか購入するでしょう。
 そして少年に「犯罪者」の傾向があった場合は、
 今すぐショーウィンドウのガラスを叩き割って、盗み出すでしょう。

 では、少年の犯罪を未然に防ぐにはどうすればいいのでしょうか。
「トランペット」を規制して、少年が吹きたくなくなるような形にすればいい?
 その発想は、あまりにも愚劣です。
 たった一人の『犯罪者』の愚行を防ぐために、
 他の多くの『善良な』音楽家の演奏を妨げるべきではありません。

 健全に考えれば、ショーウィンドウのガラスを強化ガラスにすればいいのです。
「お金を貯めるより盗む方が楽で簡単、だから盗む」のなら
「盗むよりお金を貯める方が楽で簡単」になれば、誰も盗まずに貯金します。

 犯罪を抑止する最良の手段は、
「防犯」の技術と意識を高め、犯罪の難易度を上昇させる事なのです。

 ところが、ある愚かな人々の私怨に近い感情論では、
 上記の自明の理さえ捻じ曲げられ、
「少年に刺激物を提供する事が悪い」という奇妙な論理に変わります。

 つまり彼らは、本来の取り締まりの対象である『犯罪者』の代わりに、
『無実の人間』や『法に従う人間』を取り締まろうとしているのです。

 法に従わない犯罪者を取り締まるよりも、
 法に従う善良な市民を取り締まる方が楽で簡単なのは当然です。
 しかし、そんな方法で犯罪を抑止できるわけがありません。

 この問題の、真に深刻な点はここからです。
 明らかに間違った対策を講じながら、もしも、
 この規制後に性犯罪が『偶然にも』減少した場合。
「表現規制には犯罪抑止の効果がある」という
 非常に間違った図式が成立してしまいます。

 この間違った図式を根拠に「暴力表現規制」や「差別表現規制」などの
 重大な表現規制がドミノのように成立していく恐れがあるのです。


 要点をまとめます。
1・エロゲ規制で制限を受けるのは、
  法を破る犯罪者ではなく、法を守る善良な市民である。

2・そんな事で犯罪件数の減少を期待するのは愚かな事だし、
  仮に減少しても偶然の結果に過ぎない。

3・もし減少した場合に、彼らがその『成果』を主張して、
  さらなる表現規制の拡大を図るような事態だけは、
  絶対に避けねばならない。


 ……この放送が、決定権ある人々の耳に届く事を切に願う。
 そして彼らが、一部の歪んだ視野を持つ議員と違って、
 健全な視野と理解力を有し、
 自分と異なる人々の声にも耳を傾ける寛大さの持ち主である事を
 心から期待する。


 この狂気を、この憎悪を止める時だ。
 これで《自由アメリカ放送》を終了する。


節分ですね

 どうもみなさま、こんばんは。滝川です。

 というわけで節分です。
 しかし今年の私は「鬼は外」と言いにくい立場なのです。
 作品に出してしまう関係上。

 で、今日は作品に絡めた「鬼」の話をしようと思います。
 ですが例によって長く、興味のない人にはどうでもいい話なので
 今回も追記にしておこうと思います。

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旅人のはなし

 どうもみなさま、こんばんは。滝川です。

 今回の記事は、「霧子さん」と「狐っ子」に続いて
「旅人」のはなしです。

 最近の私は体調が悪かったので、開き直って書く事をやめ、
 江戸時代、特に旅について、色々と調べていました。
 それで、やはり原典にも当たるべきかと思い
 十返舎一九先生の「東海道中膝栗毛」を読み始めました。

 弥治さんこと弥治郎兵衛(やじろべえ)は駿河の生まれ。
 実家は裕福な商家で、百両や二百両の金は自由にできる境遇。
 ところが旅役者・華水多羅四郎(はなみず・たらしろう)の弟子、
 鼻太郎という「美少年」に惚れてしまい、遊興三昧の日々を過ごす。
 とうとう弥治は店の身代に穴を開け、鼻太郎と駆け落ちする羽目に。

 借金は富士の山ほどあるゆえに
  そこで夜逃を駿河ものかな



 江戸へ逃げた二人は持ち逃げした金で豪遊するが
 やがて当然のように、食うに困るようになる。
 そこで弥治は鼻太郎を元服させて、
 以後は喜多八と名乗らせ、奉公に出す……


 ……江戸時代の人ってすげえ。
 まさか高名な弥治喜多がゲイカップルだったとは。
(その後、弥治さんは友人の勧めで嫁も貰う。バイセクシャル)

 不義密通でお手打ち、なんて物騒な事を武家がやっている一方で、
 気楽な庶民は性別の垣根すら軽々と超えて、
 戯気(たわけ)の限りを楽しんでいたようです。
 しかし、みながみな気楽な自由恋愛を楽しんでいたわけでもなく、
 悲恋の心中モノも、主に関西で大いに流行っていたわけでして……
 ……時代モノって難しい……

 とまあ、こんな勉強を近頃の私はしております。
 それでは、特にオチもないのですが、今回はこの辺で。
 失礼します。ごきげんよう。

露骨な肋骨

 どうもーこんばんはー。滝川です。

 愚痴の類はなるべく封印して行きたかったのですが。
「おいどんもがんばるよー」などと書いた翌日から、
 今度は右脇腹が痛み出したのです。咳のし過ぎで。
 どうにもこのところの体調不良は、終わりが見えない……
 今日は朝から、ずっと痛みっぱなしで参りました。

 まあそんな事はどうでもよいのです。
 実は、これまでひそかに水面下で進んできたお仕事が
 いよいよ形になりそうなのですよ。
 あと少しで、正式な告知ができる……かもしれない。

 なんとも茫漠たるお話で、どうもすみません。
 あと一月、遅くとも年内には詳細が語れるはずです。
 乞うご期待であります!

 それでは、失礼します。
 みなさまもご健康には、くれぐれもお気をつけください。