スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

私信みたいなもの

 旅するぼくの足取りは重い。
 求めるものは得たが(辛い旅路の果てに)
 そうして得た安堵と休息が教えてくれたのは、こんな事でしかない。
「今日はこれだけのマイル数を歩き、それだけきみから離れたのだ」と。
 ぼくを乗せた馬までが、ぼくの重く悲しい心を運ぶ事に疲れ果てていて
 のろのろ、とぼとぼとしか歩もうとしない。
 馬もおそらく本能で感じ取っているのだ。
 本当は乗り手が、早く進む事を、きみから離れる事を、望んでなどいない事を。
 ぼくは時折、短気を起こして馬の腹を強く蹴るが
 拍車が血に汚れるほど蹴っても、馬は走ろうとせず
 ただ悲しげなうめき声で答えるだけだ。
 その声は、拍車で蹴る事よりも鋭い痛みを、ぼくに感じさせた。
  うめき声が、ぼくに思い知らせる。
  ぼくの前にあるのは悲しみだけ、喜びは背後に置いてきてしまったのだと。

 ──シェイクスピア『ソネット集50番』


 チャールズ・チャップリンはこんな事を言っている。

『私は悲劇を愛する。
 悲劇の底には、なにかしら美しいものがあるから』


 私もそう思う。

 人間は、悲しい経験をした時には
 素直にどん底まで悲しんで
 涙が枯れるまで泣くべきだと思う。
 そうすれば少なくとも
 自分自身に嘘をつく事だけは避けられるだろう。
 それに、人の目は涙で盲いてしまう事はない。

 そうして気分が落ち着いたら
 なによりもまずきみは
 自分というものをしっかりと持って、
 きみ自身を愛し、強く生きる事を覚えるべきだ。

 きみは自分の望み次第で、
 いくらでも強い人間になれる。

 悲しみの底には、なにかしら美しいものがある。
 きみもいつかはそう思えるだろう。
 顔を合わせた事も、声を聴いた事もないが、
 私はきみを心から大切に思っている。


スポンサーサイト
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。